Kinotayo 18e festival du cinéma japonais contemporain

『彼岸花』 [Fleurs d'équinoxe]

© 1958 Shochiku Co., Ltd.

監督: 小津安二郎
出演: 佐分利信、田中絹代、有馬稲子、久我美子、佐田啓二
製作: 1958 | 本編: 118分 | ジャンル: | 日本語音声・フランス語字幕

作品概要

自分に相談もせず、結婚相手を決めた娘(有馬稲子)のふるまいに動揺する父親(佐分利信)の姿を描く。娘の結婚を応援する山本富士子の助演も絶妙。初のカラー作品で、監督が好んだドイツのアグファカラーの落ち着いた発色は、以後“小津の色”として定着する。

小津安二郎

1903年12月12日、東京深川(江東区)に生まれる。小学生の時に父の故郷・三重県松阪市に移る。この時期に見たハリウッド映画『シヴィリゼーション』(監督:トーマス・H・インス)の影響で、映画の道を志す。三重県伊勢市の宇治山田中学校卒業後、飯高町の尋常小学校で1年間代用教員を務めた後、帰京。 1923年撮影助手として松竹キネマ蒲田撮影所に入社。1926年演出部に移り、翌1927年時代劇『懺悔の刃』で監督デビューを果たす。1932年に監督した『生まれてはみたけれど』はキネマ旬報ベストテンで第1位に選出されるなど、高い評価を得た。1936年自身初のトーキー作品『一人息子』は最後の蒲田撮影所作品ともなった。 1943年に軍報道部映画班として南方へ従軍、この地で数多くのハリウッド映画を見る。終戦をシンガポールで迎え捕虜生活の後、翌年帰国。1947年戦後第1作『長屋紳士録』で復帰。戦後は脚本家・野田高梧と組み、神奈川県茅ヶ崎市の旅館・茅ヶ崎館で脚本を執筆し、『晩春』『麦秋』『東京物語』といった名作を次々に発表。中流家庭を舞台に親子の関係や人生の機微を描き、独自のローアングルの手法を磨き上げ、いわゆる“小津調”を確立し日本映画界を代表する巨匠となる。『東京暮色』以降は蓼科高原(長野県茅野市)にて脚本を執筆し、晩年の名作を生み出す。 1958年『東京物語』がロンドン国際映画祭でサザーランド賞を受賞したのを機に、海外でも注目を浴びるようになる。同年には紫綬褒章、翌1959年には芸術院賞を受賞し、映画人として初の芸術院会員となる。世界レベルで評価が高まる中、癌に冒され、1963年12月12日、60歳の誕生日に逝去。晩年を過ごした北鎌倉の円覚寺の墓に眠る。 死後もその評価は高まる一方で、大船撮影所の監督は勿論、周防正行、市川準、竹中直人ら日本の監督たちにとどまらず、トリビュート・フィルム『東京画』を撮ったヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュ、アキ・カウリスマキ、ホウ・シャオシェンをはじめとし世界の監督たちにも大きな影響を与え続けている。2012年、英国映画協会発行の「サイト・アンド・サウンド」誌が発表した世界の映画監督358人が投票で決める最も優れた映画で、『東京物語』が1位に、批評家846人の投票では3位に選ばれた。